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【活動報告】改良カマド

~はじめ~

改良カマドは僕にとって一番思い出に残る活動だった。

モザンビークに着いてからの任地変更、
配属先職員のほとんどが「何しに来た?」という反応だった。ポルトガル語も話せない華奢な白人が来たら、僕でもそう思う。あぁ資金援助してくれるんだな、とも思われてただろう。

赴任一ヶ月後、活動計画書を所長に提出した。
まず取っ掛かりとしての活動が行いたい。そう思い、いくつかの活動を提案した。その中で所長と郡の統治者が気に入ったのが、この改良カマドだった。

改良カマドの普及は
モザンビークや近隣国マダガスカルで、既に僕と同じボランティアが行なってきた歴史があった。
そういったこともあり、試作品は簡単にできた。配属先で展示したところかなり好評で、僕の居場所も少しずつ確立されていった。ちなみにこの時期は、1日5人以上から金銭の要求を受けながら暮らしていた。断り方が下手で、常にストレスを感じていた気がする。

~いざ指導へ~

作るのにも慣れてきたところで、そろそろ農村部で教えてみようと思い始めた。
警備員のオルランドが、「僕の住んでる村はどうですか?」と提案してきた。彼には自宅でカマドを作っている際、よく手伝ってもらっていた。彼と一緒に教えることで、村人も警戒せず聞いてくれる。そう考え、オルランドの村で指導することにした。

思い出すと、オルランドとは本当に親しくさせてもらった。
住居が決まってすぐ、安全上警備員を雇う必要性があったので配属先に探してもらうようお願いした。それで見つかったのが彼だった。

出来れば気が合い、言葉や文化を教えてくれるような人がいい。そういう願いがあったので、直接面接して判断することに。大人しいが話しやすく、向上心のある彼とすぐさま意気投合し、うちで働いてもらうこととなった。

オルランドとは色々な思い出があるが、
何と言っても一番の思い出は、夜自宅の庭で二人で話すことだった。
互いの国の文化や自分たちの考えを話し合う時間。上手く話せていたかはわからないが、いい時間だったなぁと楽しく思い返すことができる。「Patrao(雇い主の意)は僕が会った日本人の中で、一番かっこいいですよ。」そんな彼の言葉などが僕を支えていたようにも思える。ありがとうオルランド。その後の借金の申し入れが無かったなら、満点だったと思う。

そんな彼の住んでる村は、郡の中心から7kmほど離れた所にあった。
生活水は湖から汲み、プラスチックタンクを頭に乗せて家まで運ぶ。火をおこす薪は自宅から数キロ離れた場所まで奥さんが拾いに行く。僕がイメージしてたアフリカの生活がそこにはあった。

この地域であれば、薪拾いの労働を軽減したい=改良カマドの利用 といった紹介ができる。そう考え最初の時期はそこで作成指導・モニタリングを行った。

結論から言うと、ここでの普及は全くの失敗に終わった。

何がいけなかったか

次回はそこから書いていこうと思います。
今回は以上です。

□Fotografia

赴任したての時の自炊料理。
中まで全く火が通っておらず、何度も焼き直して食べました。

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