僕の活動(というより人生)で物事が進むときは、例外なく誰かの助けがキッカケとなる。
改良カマドでは、3名の日本人に大きく助けられた。
・1人目、先輩隊員のKさん
Kさんの任地で行われた展示会に参加したことから交流が始まった。
「僕の任地になら粘土が取れる場所がある。一緒にやってみない?」という提案により、Kさんの任地でカマドを作成することとなった。

大量生産のため、型枠を使ったカマドを試作してみたりした。
残念ながら粘土の質により、Kさんの任地では陶器タイプのカマドは上手く作れなかった。だが、このKさんとの試行錯誤が、改良カマドの普及の形を固めることとなった。後は普及地となる場所と、人材。そこまで道が見えたのは間違いなくKさんの力が大きかった。
・2人目、同期のN君
同期隊員のN君の助けは、今思い返しても嬉しく感じる。
彼は僕の任地から300Kmほど離れた所で、野菜栽培指導を村落地帯で行なっていた。
彼の任地には、レンガ・陶器を作って売っている地域が存在する。
聞くところによると以前どこかのNGOが支援し、村おこしとして粘土を利用した商売を始めさせたとのこと。
現在では現地の人だけで運営が行われており、村おこしプロジェクトとして見本となる例といえるだろう。

しっかりとした釜もあり、作成までの一連の過程もしっかり役割分担がされており、効率良くレンガを製造している。
ここでカマド作れたら面白そうだな、と赴任したての頃にN君の任地を訪問した際考えた覚えがある。
距離が遠いのと、N君が野菜の指導で忙しいということもあり、当時はここでの活動は考えていなかった。
その訪問から1年以上経った。
ちょうど僕が任地で粘土が取れる村を何度か訪問し、
現地人に賃金を要求(カマド試作の)されてた頃か、村へ行く途中で携帯を盗まれそうだった頃かと思う。
N君が連絡をくれた。
「近隣の隊員を集めて勉強会を行うから、その時改良カマドも教えて欲しい。」
状況を打開するいい機会だと思い、喜んで参加した。
型枠を持って行き、N君の任地の粘土地帯で現地人・日本人に対する講習会を開いた。
レンガを製造している職人たちは、強い関心を示してくれた。
その団体の代表の人は、製造・販売を行ないたいと言ってくれ、急遽N君の任地でカマドを普及していくこととなった。
それからは、週に一回N君が進捗状況を報告してくれた。
乾燥するのに時間がかかったり、釜で焼いた後にヒビが入ってしまったりと
様々な問題が発生したが、そこの職人さんの努力もあり、改善を繰り返しながら進むことができた。
ここで作成した改良カマドは、現在別の州にある民衆食堂で使っていただいている。
もっとたくさん欲しかったり、大きなタイプのカマドも作って欲しいと要望があるとのこと。
現地職人と力を合わせた改良カマドの普及。これはN君の協力により生まれた道だと言える。
そして3人目の方の助けにより、
僕達の改良カマドは現在も進展を見せている。
次回はその話を書いていこうと思う。
今回は以上です。